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- 【特集】ダイアローグが切り拓く組織の未来
「生き馬の目を抜く」ような激しい競争の中で社員が疲弊してしまい、社員同士のコミュニケーション不足が多くの企業で指摘されるようになりました。この問題の本質は何なのか?問題を解決する糸口はどこにあるのか?教育学の立場から企業における学習や人材育成の研究を行っている東京大学 大学総合教育研究センター准教授の中原淳先生にお話を伺いました。(聞き手は佐々木郷美) |
大人は「コミュニケーション」を通じて学習する |
佐々木(以下略):中原先生の研究テーマは「大人の学びを科学する」ですが、どのようなことを研究されているのでしょうか?
中原(以下略):僕の専攻である教育学では、通常は幼稚園・小学校から大学まで、つまりは子供を対象にしているのですが、僕の場合は、一風かわっていて、企業における学習や人材育成をテーマにしています。企業で働く大人が、仕事を通じて何を学び、どのような成長をとげるのか。それを支援するワークプレイス環境、コミュニケーション環境とはどのようなものが適当なのか、いうことを研究しています。教育学の辺境中の辺境、いわゆる「マニア領域」かもしれません(笑)。
今でこそ「働く大人の学習や成長」を扱っていますが、もともとは子どもを対象として「コミュニケーションを通じて学ぶ=協調学習(コラボラティブ・ラーニング)」の研究をしていました。人が協調して学ぶときには、どのような学習効果が得られるのか。そして、そうした協調学習を支える環境とは、どのようなものがよいのか。その研究をまとめ、博士号を取得しました。しかし、そこで僕には「節目」がおとずれます。他の人にはできないこと、僕にしかできないこととは何なのか、を考え始めました。同時に、僕がやりたいことを探しました。自問自答のすえ、今まで教育学者がほぼ誰一人と手をつけていない、企業を対象にした研究をやってみたいと思いました。今から5、6年前の話です。これが、「ルビコン河を渡った瞬間」かもしれません(笑)。
考えてみれば、働く大人にとって「学習」するということは、教科書を読むとかではありませんよね。日々の仕事や生活の中で、人に出会い、コミュニケーションし、時にはアドバイスや薫陶を受け、そうしたプロセスの中で気づくわけです。大人の学習というのは、そもそも「協調学習」なのかもしれません。
現在、取り組んでいる研究テーマとしては、業務経験談話(ある人が業務経験を語ったり、語られたりすること)が個人の成長やスキル、また組織学習と言われる企業内の知識の流通にどのように影響を与えるのか、を調べることです。イメージでは、昔やった協調学習研究に組織学習研究という「スパイス」をミックスして、「企業」を舞台に研究している、というイメージがあります。
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2009年2月に『ダイアローグ 対話する組織』という本を発表されました。この本を書くきっかけは何だったのでしょうか?
僕は、週に数件、企業をお伺いしてヒアリングやインタビューをさせていただいています。2006年ぐらいからいろいろな企業を訪問してヒアリングや調査をしていく中で、不思議で仕方がないことがありました。多くの企業からOJTがうまくいかなくなったとか、組織の理念が伝わらないとか、社員がキャリアを描けない、職場でのナレッジの共有がうまくいかないといった声が聞かれました。問題は、それぞれの問題に対して、それぞれの処方箋が別々に提供されていることでした。たとえば、「OJT研修」、「ウェイ・マネジメント」、「キャリアディベロップメント」、「ナレッジマネジメント」といった具合に、あたかも、それらが別々の問題であるかのように認識され、個別に対処されていることが不思議でした。
僕の目から見れば、OJTとは、人と人が相互作用していかに知識を共有・継承できるか、ということですよね。ウェイ・マネジメントとは、曖昧な企業理念とよばれるものを、社員が相互に解釈し、職場で行動に活かせるかどうかが問われます。キャリアディベロップメントとは、他者にアドバイスやコメントをもらいながら、「自己とは何か」を意味づけていく作業だと思います。ナレッジマネジメントとは、ある組織・職場内における知識共有ですよね。知識共有の根本は、やはり他者と他者が出会うことであり、彼らがコミュニケーションすることです。
結局のところ、僕の目からすれば、どの問題も、根本は「コミュニケーションと学び」に関することなのです。つまりは、すべてが「協調学習」の問題なのですね。それなのに、あまりそうは思われていない。全く別々のものと考えられ、それぞれに体系がつくられていて、専門家がいて(笑)、一貫性のない処方箋がとられていることが、不思議に見えました。
くどいようですが、これらの問題の根本には「コミュニケーション不全」、そして「コミュニケーションによる学びの不全」という問題があります。結局は、それが、いろいろなところで問題を起こしている。にもかかわらず、表面上の問題に対してだけ処方箋をうっているように感じられます。だから、企業のコミュニケーションのあり方の根本を見直さないとならないな、と思いました。そこで、「企業」と「コミュニケーション」と「学び」という3つのテーマを正面から扱った本を書こうと思いました。産業能率大学の長岡健先生(組織社会学)をお誘いして書いたのがこの本になります。企業で起きているコミュニケーション不全、病理を「導管メタファ」というコンセプトで描き、それに替わるものとして「ダイアローグ」というコミュニケーションのスタイルを提案しました。
一見全く違う問題に見えるものが、実はみなつながっているという視点は非常に興味深いですね。組織の問題がコミュニケーションというシンプルなものに由来していることに気づき、取り組んでいる企業はまだまだ少ないのかもしれません。
僕にとってもう1つ不思議だったのは、問題に取り組んでいる部門がすべて違うということでした。ナレッジマネジメントは情報システム部、ウェイ・マネジメントは経営企画室と現場、キャリアディベロップメントは人事部がやっている。だから、同じ会社で3、4人の人から話を聞くと、同じ施策を同じに語る人はいないし、他部門のやっていることはよく知らないということがよくありました。これでは一定期間のうちに、相反するどころかまったく違うメッセージがいろんな部門から出てきてしまう。いっそのこと「オーガナイゼーショナルコミュニケーション委員会」という共通の組織を作ってしまえばいいのにと思うこともあります。
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なるほど、根本的な問題解決のためには、コミュニケーションやダイアローグの機会をいかに組織内に設けるかがポイントになりますね。企業で実際にダイアローグを行うためには、どのようにすればいいのでしょうか?
この本には、実は、秘密があります(笑)。「ダイアローグをどのようにやるべきか」という「ダイアローグの手続き」に関しては、ほとんど書いていないと思います。巧妙に、かつ、緻密に、そうした記述を避けました。
ダイアローグをいかにするべきか、というものを「手続き」として決めることは簡単ですが、それを行った瞬間に形骸化・教条化がはじまります。決まり切った「ダイアローグメソッド」なる手順が登場し、それを確実に守ることが求められる。そういうメソッドから生まれるものは、おそらく、この本が提案しているものとは、全く別のものになるでしょう。だから、あえて書きませんでした。
ダイアローグを理解するには、実際に、ダイアローグの場にいくつか参加してみることだと思います。そうすると、何となくダイアローグの雰囲気が分かってもらえるはずです。僕は東京大学本郷キャンパスで"Learning Bar"というものを主宰しています。長岡先生は代官山キャンパスで「イブニング・ダイアローグ」といった活動をなさっています。そういう場にぜひご参加いただければと思います。
「ダイアローグを実践するには、まずは体験するのがよい」ということですか?
それが一番いいと思います。まずは体験なさってみてください。で、不思議なもので、体験したら、今度は自分で主宰したくなるものです。実際、Learning barにご参加いただいた方が、今度は自分で同じような場をつくるということがよくおこります。
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リーダーのように周囲に影響を与える人は、ダイアローグによってメンバーとの相互理解を深めることが特に求められるような気がします。
絶対にそう思いますね。僕はリーダーシップの専門家ではありませんが、僕が知る限り、リーダーシップ論の要諦は2つかな、と思います。行動派の理論にしても、変革派の理論にしても、要するに、1)課題(アジェンダ)をどのように設定し、タスクをどのように切り分けるかということと、2)設定したタスクに対して、いかに人を巻き込むのか、ということがリーダーシップの要諦ではないでしょうか。ジョン・コッター教授風にいうならば、アジェンダ設定と、ネットワーク構築ということになると思います。
ただ、これまでのリーダーシップ論の多くで想定されている「リーダー」とは、どこかで「強いリーダー」でした。設定されるアジェンダは常に正しいものであり、それを設定しさえすれば、フォロワーが当然従ってくるという前提に立っているところがあります。設定したアジェンダがそもそも正しいのかどうかに関する吟味 - すなわち、その課題が本当に解決すべきことなのかどうかということを、みんなで確認し合うプロセス - つまりは「対話」という視点が抜けてしまっているようにも思います。アジェンダ設定で設定される、そのアジェンダは、本当に正しいのでしょうか。いいえ、正確にいうならば、「正しいとみんなに思われている」のでしょうか。
協調学習研究の世界観には、「人間はひとりで有能さを発揮することはできない」というものがあります。ある人がそれほど有能ではないとしても、異なる専門性や背景を持つ人たちがつながり、コミュニケーションをして、有能になればいいのです。こういう考え方を"社会分散認知(Social Distributed Intelligence)"といいます。
リーダーシップ論についても、有能でカリスマ性もある1人のリーダーが、問題を設定し、そこで設定された問題に対して人を巻き込んでいくべき、と考えるのか、それとも分散した知恵や知識から集合知を形成して問題を解決できるようにすればいいと考えるのかは、大きな別れ道だという感じがします。
一般に企業の方は、前者のような強いリーダーを求める傾向がありますね。でも、僕は世の中の趨勢はそちらには動かないと思っています。最近、そういう世界観のリーダーシップ論もでてきていますね。いわゆるサーバントリーダーシップや分散型リーダーシップは後者の考え方に近いのかもしれません。
学術的には、集団で考える方が一人で考えるよりもいい成果が出るということは証明されているのでしょうか?
学習科学や社会心理学の分野で様々な研究がされています。しかし、知見は様々なですね。ことわざでは、よく「3人寄れば文殊の知恵」と言いますが、実際はそれほど単純ではありません。協調することでメリットが得られる場合もありますし、デメリットが生まれる場合もあります。ですので、これは今後もまだまだ研究が必要な領域ですね。
デメリットといえば、メンバーが十分に考えることをせず、集団にとって都合のいい結論へと至る「集団思考(グループシンキング)」や、ある特定の人が議論をリードし、意見が極端なものになってしまう「集団極化」といった現象が報告されています。集団になったからといって常にポジティブな効果が生まれるものではないのです。でも、先ほどの協調学習研究のように、1人では思いつかなかったけれども、2人いることで違った深い理解に到達できるといったポジティブな側面もあることは間違いはありません。
ポジティブな意見もあるし、ネガティブな主張もあるというのが正しいのではないでしょうか。人の協調作業を解明するのはまだまだはじまったばかりですね。
そこをどうポジティブに導くかが、ダイアローグの鍵、ツボなんですよね。
そうですね。リーダーに関して言えば、ダイアローグの場を積極的に作っていける人たちがこれからの真のリーダーではないかとも思います。有能な1人のリーダーは、あらゆることを自分ですべて管理しなければなりません。これはしんどい仕事です。そうではなく、ダイアローグの場を作って集合知に頼るという発想は、全部自分でケアしなくてよくなるのですから、結局は楽になるはずなのです。
(中原先生、お忙しいところありがとうございました。)
中原淳(なかはらじゅん): |